2014年04月26日

3年の振り返り「救急医と看取り」

はいさい!フライトドクター ヨシバードです。

今月末をもって、大好きな沖縄を離れることになりました。悲しいかな、ラスト2の投稿になります。

本稿は、沖縄での3年間を振りかえりたいと思います。

3年の振り返り「救急医と看取り」

そもそも長くいた関東から移住したのは「ドクターヘリ業務」に携わりたいという願いからでした。夢を夢で終わらせないため、旅先で出会った相田みつをの言葉が後押ししてくれました。心の中に押し殺していた夢がマグマのように涌いてきたのが昨日のように感じます。

3年の振り返り「救急医と看取り」

家族の理解もあり来沖して3年。ドクターヘリ業務に深く関与することができました。今後は、高速道路着陸をはじめもっと他機関と連携をとれるように努力をしています。認知度に関しては、まだまだ途上です。「全国一開かれたドクターヘリ」めざし、引き続き皆様のご理解とサポートをよろしくお願いします。

3年の振り返り「救急医と看取り」

これまで、3次救命センターやERで働いていた自分にとって、浦添総合病院での業務は貴重な経験になりました。超急性期を乗り切った患者が、集中治療室を出たあとどのような経過をたどるのか、ゴールは何なのか。「命を救う」という疑いもしなかった救急医の使命について、「命を救うとはなんなのか?」「もっと人生をマクロな視点でみたら、本当にこの治療でいいのか」という風に考えるようになりました。「看取り」をはじめとする救急とは真反対にある終末期医療が、実は隣り合わせにあることにも気づかされました。

「医療側のエゴではなく、患者のニーズにあった背伸びしない医療が提供できるか」

最近、面談時に心掛けていることです。

介護保険制度がはじまってから10年以上経ちますが、退院したあとの環境はまだまだ未整備ですし、最期をしっかり責任もって看てくれる医師はほんの一握りです。終末期についての国民議論も進んでいません。団塊の世代が超高齢者になる前に、しっかりとした議論を医療側も、患者側するべき時にきています。

浦添では家族(可能なら本人も交えて)ととことん話し合い、可能な限り治療の方向性を明確にしてきました。それによりチーム内でぶつかることもありましたが、多くの場合ではチームが同じ方向を向かうことで患者と家族に最期の時間をつくることもできました。看取りをした人は数知れず、ただチャンスがある方は粘り強く治療を行い社会復帰につなげれたことも多くありました。

終末期としっかり向き合うことなくして、良質の救急医療はありえないと思っています。10年後に自分が救急の最前線にいるかどうかわかりませんが、浦添で学んだことを胸に刻んで、救急医療の一場面でフィードバックできればいいなと思っています。



Posted by ドクターヘリオキナワ1 at 16:13│Comments(0)
 
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